ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2013年4号
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「日本からアジアに舞台を拡大する」 日本航空 平田邦夫 専務執行役員貨物郵便本部長

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

APRIL 2013  6 わりではありません。
利益が出る体質 にはなってきたものの、成田など首都 圏空港の発着枠増加やLCC(格安 航空会社)の台頭に備えて、さらにコ スト競争力を強化する必要があります。
さまざまなイベントリスクに耐えられ る財務体質にするのが全社的な課題で すから、旅客、貨物を問わずエンドレ スでコストの見直しに取り組まなけれ ばなりません」 ──再上場によって貨物事業の自由度 は増しますか。
 「自由度というか、経営判断のスピ ードは上がっていると思います。
与え られた旅客便のベリーのスペースをフ ォワーダーと契約してどのように活か していくか、私の責任で判断させても らっています。
部門別採算制度は今回 のJAL再生の一つの柱でしたが、貨 物事業もアメーバ経営という形で毎月 事業収支をきっちりと出して利益を確 保し、独立した組織として動くことが できています」 ──世界的な景気の低迷をきっかけに、 割高な航空輸送から安価な海運輸送に 切り替える動きが進んでいます。
 「確かに少し前までは半導体製造装 置のような機械類もフレーターで現地 に運んでいましたが、それが今は船に なっている。
海上輸送中の在庫にオー ダーを引き当てるというようなシステム 稲盛氏が幹部らを直接教育 ──日本航空は二〇一〇年一月の会 社更生法適用申請からわずか二年八カ 月で東証への再上場を果たしました。
 「稲盛和夫会長(現・名誉会長)が 来られて、それまでとは発想が大きく 変わりました。
一つは、日本のことだ け考えていては世界の競争に勝てない ということ。
もう一つはコンスタント に利益を出すことの大事さを教えられ ました。
現行の中期経営計画で我々は 『営業利益率一〇%以上』という目標 を掲げていますが、かつてならこれは あり得なかった。
そんなに儲かってい るのなら運賃を下げろと言われてしま う。
運賃が完全に認可制だった時代に はそうでした」  「投資についても従来は借金して航空 機を購入し、返済しながら事業を回し ていくというのが航空会社のビジネス モデルだと我々は思い込んでいた。
し かし、稲盛さんは『そうではない』と。
キャッシュフローの範囲内で投資をし て機材を更新し、サービスアップにつ なげることこそ社会的使命なのだと言 われました。
そして役員や部長級の教 育から始めて、課長レベルや一般社員 に広げていきました。
そうやってゼロ からビジネスモデルを見直していった んです」 ──採算性重視の一環で自社フレータ ー(貨物専用機)の運航から撤退しま した。
 「会社更生を果たすにはフレーター を止めることが必要だとして、断腸の 思いで決断しました。
そのために売り 上げも大きく減った。
私が貨物郵便本 部長になった〇八年当時で、貨物事業 の売り上げは二五〇〇億〜二六〇〇億 円でしたが、フレーターの休止や国際 線の路線再編によって取扱量は半分弱 まで減りました」  「日本発着の大型荷物が減少し、空 港のオープン化で航空会社間の競争が 高まる中、フレーターを一〇機も飛ば し続けるのは正直厳しかった。
一方で アジアと欧米を結ぶ物流は絶えず存在 しています。
そこに我々がいかに関わ っていくかを考え抜いた結果が、ベリ ー(旅客機の貨物スペース)の利用で あり、また他の航空会社への運航委託 でした」 ──フレーターから撤退した直後に航 空貨物需要は大きく落ち込みました。
 「海外の同業者からは良いタイミング でスマートな判断をしたと皮肉っぽく 言われます(笑)」 ──リストラは目途が付きましたか。
 「再上場は一つの節目でしたが、終 日本航空 平田邦夫 専務執行役員貨物郵便本部長 「日本からアジアに舞台を拡大する」  会社更生に伴い二〇一〇年一〇月に自社フレーターの運航を休止し た。
それから二年余り。
採算性重視の“稲盛イズム”が浸透して異例 のスピードで再上場を果たし、貨物事業も黒字転換させた。
ベリー便 と他社への運航委託を柔軟に組み合わせて、アジアを舞台に付加価値 の高い小型貨物の取り込みを狙う。
(聞き手・大矢昌浩、藤原秀行) 7  APRIL 2013 ができたことも、海上輸送シフトに拍 車を掛けています。
とは言え、船にシ フトするものは、もうシフトしてしま っている。
元々、空と海では輸送モー ドとしての性質が異なりますから、航 空の荷物が全て船に行くことはあり得 ない。
生鮮品等の輸出入は航空の方が いい。
海と空の棲み分けは歴然とでき ていると思います」 ──日本発着の航空貨物の動向は。
 「多少持ち直してはいますが、今後 リーマンショック前の〇七年の水準を 上回ることができるかと言えば、航空 業界の誰もがノーと答えるでしょう」 ──国際航空貨物は景気の影響を一時 的に受けることはあっても中長期的に はずっと成長してきました。
そのトレ ンドが変わったのでしょうか。
 「日本は依然GDP世界三位の経済 大国ですし、飛行機でなければ間に合 わない生鮮品などはコンスタントに伸 びていくマーケットです。
しかし、製 造業の海外生産シフトが進み、今後は 最新鋭の電子部品を日本から運ぶとい うような需要が増え続けていくことを 期待するのは厳しい。
日本をインアウ トする貨物は確実に残るものの、昔の ように右肩上がりで伸びていくことは ないでしょう」  「しかしそれでも世界的な航空需要 は拡大していきます。
やはりアジアの  「ベトナムやバングラデシュ、ミャン マーなどにも根ざして、日本企業が現 地で生産した商品を日本へ出荷する際 の原産地証明や通関なども全部ジュピ ターで手掛けています。
一一年には三 菱倉庫さんと資本・業務提携しました。
我々のアジアのネットワークで荷物を どんどん増やしていくために、ジュピ ターを使って新興国市場を含むアジア 域内およびアジアと欧米間のビジネス に関わっていきます」 ──ライバルの全日本空輸は那覇空港 とアジア主要八都市を結ぶ「沖縄貨物 ハブ」を基に、日本・アジア間に加え てアジア域内の輸送需要取り込みを図 るなど、貨物分野を強化しています。
 「もちろんサービスの競争は常に意識 しますが、規模で競争をするつもりは ありません。
彼等とはビジネスモデル も違う。
我々が株主に対して約束して いる経営目標をしっかり達成すること が先決です」 成長が大きい。
今や世界の航空輸送の 約四割を中国・アジアから欧米等に向 かう貨物が占めている。
安く生産でき る体制をアジアに確立し、完成品を欧 米に運ぶ流れは今後も続くはずです」 荷主ニーズに柔軟に対応 ──製造業などのアジアシフトにどう 対応しますか。
 「我々はどうしてもこれまで日本中 心の考え方から離れられなかった。
し かし、それでは今後は成長できません。
少なくとも貨物事業に関してはJAL の全世界のネットワークと、さらには JALのパートナーのネットワークま で含めてマクロで見て考えていく必要 があります」  「航空会社だけでなく、我々はUP Sやフェデックス、DHLなどのイン テグレーターともネットワークでつなが っていますから、彼等と一緒に取り組 むこともできる。
先日は日本郵便と国 際スピード郵便(EMS)による海外 向けの小口保冷配送『クールEMS』 を始めることで合意しました。
路線ご とに何を運ぶのに適しているかセグメ ンテーションを明確にする。
そして生 鮮品や医薬品のような、スピードとい う航空の絶対的な付加価値を活かせる ものを積極的に取り込んでいきます」 ──自社フレーターを運航していたこ ろと現在では、取り扱う荷物の中身も 変わっているのでしょうか。
 「さすがに変わりますね。
それでも 年数回はフレーターのチャーターを行 っています。
当社にはさまざまなニー ズに合わせた輸送や積み付けのノウハ ウがあり、それをチャーターで発揮で きる。
先般もトヨタ自動車の新型スポ ーツカーを二〇台以上、愛知からブリ ュッセルに運びました。
他社のフレー ターを活用したエアラインチャーター は計画的な販売ができますから、中計 の期間中(一二〜一六年度)に取り扱 いを拡大していきます。
必要に応じて 外部の資源を活用すればいい」 ──中計では国際貨物フォワーダーで 子会社のジュピター・グローバルを戦 略的に活用する方針を打ち出していま す。
具体的には何をしますか。
 「ジュピターは元々、香港からアメリ カなどへ急ぐ荷物の空輸サービスから 事業をスタートしました。
今は国際貨 物フォワーダーのほか、キャリアのG SA(総販売代理店)、エクスプレス貨 物といろんなことをやっています。
世 界一七カ国・地域の四七都市にネット ワークを持ち、グループ全体で従業員 七〇〇人を抱えるまでに成長しました。
日系企業が海外進出する際、各国で全 く異なる通関事情に合わせて支援する 代理店業務も大変喜ばれています」 平田邦夫(ひらた・くにお) 1951年生まれ。
75年京 都大学法学部卒業、日本航 空入社。
東京支店総務部長、 国内旅客のマーケティング企 画部長、取締役などを経て 2012年2月から現職。
注)平田氏は3月末で役員を退任 (インタビューは今年2月に実施。
本稿の肩書きは在任当時のまま)

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