ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2007年1号
CSR経営講座
食品業界を震撼させた協和香料事件

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

JANUARY 2007 74 事件は四年前に発生した。
中堅 香料メーカーの協和香料化学が、全 国六〇〇社余りの食品メーカーに 違法な原料を使った香料を出荷し ていたことが発覚。
食品メーカー は製品回収などの対応を余儀なく され、多いところで数百億円もの 損害を被った。
この事件の根底に は日本特有の産業の二重構造があ る。
他分野でも同じような事態が 起こる可能性は高い。
しかし、抜 本的な解決策はいまだに講じられ ていない。
新聞報道で急拡大した騒動 二〇〇二年六月四日付け『朝日新 聞』朝刊の一面トップに「グリコ、ブ ルボン、明治製菓、雪印‥‥食品大 手、相次ぎ回収」という大きな見出 しが踊った。
その四日前に茨城県は、 事件の発端となった協和香料化学の 茨城工場に対し、食品衛生法に違反 する原料物質(ヒマシ油、アセトア ルデヒドなど)を含む製品の回収と 操業停止をすでに命じていたのだが、 この段階では、知名度の低い中堅香 料メーカーの不祥事としてマスコミの 扱いはまだ小さかった。
ところが、協和香料の販売先に多 くの大手食品メーカーが名を連ねて いて、違法原料を含む香料を使った 食品が全国規模で大量に出回ってい る事実が明らかになってくると様相 は一変した。
日を追って騒動は大き くなり、江崎グリコや明治製菓など の著名企業が製品の自主回収を決め たことをマスコミは大々的に報道。
動 きが一気に加速した。
おりしも食品の安全性に対する消 費者の意識は急速に高まっていた。
そ の二年前の二〇〇〇年六月には雪印 が過去最大とされる集団食中毒事件 を引き起こし、同年九月には日本で 初めてBSE(狂牛病)の感染牛が 見つかるなど、「食の安全・安心」を 揺るがす出来事が連続していた。
こ うした中で発生した協和香料事件は、 あれよあれよという間に大騒動へと 発展。
数日後に行政が「(香料に使う くらい)微量であれば健康被害はな い」と打ち出したものの、もはや混乱 は収まらなかった。
世論への影響がとりわけ大きかっ たのが、冒頭で紹介した『朝日』の トップ記事だった。
この日は大手各 紙が同様の記事を一斉に掲載したの だが、『朝日』のそれは「六〇〇社が 使用か」というサブ見出しとともに、 グリコやブルボンなどの問い合わせ先 電話番号まで大きく掲載。
この日を 境に食品メーカー各社による空前の 自主回収が本格化した。
私が所属し ていた味の素ゼネラルフーヅ(AG F)もこの記事で名指しされて対応 に追われることになった。
このとき食品メーカー各社は、自 社の製品を販売ルートから回収する 一方で、新聞各紙に「お詫びとお知 らせ」と題する告知広告を掲載した。
六〇〇社ともされる対象企業のうち一〇〇社以上がこぞって「お詫び広 告」を出稿し、一時は広告枠を確保 できないほどだった。
在京の大手五 紙への広告掲載費だけでも多額の出 費を余儀なくされた。
自主回収した製品の多くは廃棄せ ざるを得ない。
メーカーごとに対応は 異なったようだが、AGFはすべて 廃棄した。
こうした製品の廃棄損や 広告費、騒動に対応するための人件 食品業界を震撼させた協和香料事件 第7回 費や、販売機会ロスなどを加算すれ ば、各食品メーカーの損害額は数億 円から数百億円にものぼったとされ る。
当然、各社は調達先に対して損 害賠償を請求した。
その一方で、同 様の過ちを繰り返さないための対策 を講じようとしたのだが、これがそう 簡単ではないことに気づき立ち往生 してしまうことになる。
絶対に非公開の香料レシピ 各社がどのような対応をしたのか を述べる前に、なぜ、このような事件 が発生したのかを説明しておかなけれ ばならない。
そのためには、まず香料 業界の特徴を押さえておく必要があ る。
日本香料工業会には二〇〇六年 八月の時点で一五八社が加盟してお り、国内の香料市場の規模は二〇〇 〇億円程度とされる。
このうち約六 割を上場企業である大手三社(高砂 香料、長谷川香料、曽田香料)が占 め、残りを一五〇社程度の中小企業 が分け合っていた。
香料には、加工食品に使われる製 品(フレーバー)や、化粧品などに 使われる製品(フレグランス)などが ある。
現在では香料の生産額の約八 割をフレーバーが占め、その用途は 菓子や飲料、インスタント食品など 多岐にわたっている( 図2)。
一つの香料には通常およそ一〇〜 二〇種類の原料が使われており、そ のうち一つでも別のものに変えると同 じ?香り〞を再現できない。
それだ けに、どういう原料を、どのように配 合するかというレシピ(調合方法)は 香料メーカーにとって命綱ともいうべ き情報だ。
万一、レシピが外部に漏 れれば、資本力のある企業に同じも のをより安く製造されてしまう。
何が あっても口外することのない企業秘 密とされてきた。
各香料メーカーには得意分野があ って、ひとたび独自の製法で有効な 香料の開発に成功した企業は、それ だけで結構、存続できる。
このような 製品の特性から、香料業界には独自 技術を持つ中小メーカーが多い。
門 外不出のレシピを資産として相続し 続けてきた同族企業も目立つ。
協和香料は売上規模が一七億円近 くある中堅メーカーだった。
「ミルク 系」と呼ばれる香料、つまり牛乳を 使わずに牛乳の香りを出す製品に強 みをもっていた。
乳製品関連の香料 は技術的に造るのが難しいとされ、この分野に強い香料メーカーは国内に 十数社程度しかない。
だからこそ、売 り上げ十数億円の企業が、日本中の 大手食品メーカーに製品を納めるこ とが可能だった。
つまりこの事件は、 情報開示がタブーとなっていた香料 メーカーのレシピに食品衛生法に違 反する原料が混入していたため、利 用者の食品メーカーにとっては寝耳 に水の話だったのである。
食品メーカー各社は当時、消費者 の「食の安全・安心」に対する意識 の高まりを受けてコンプライアンスの 強化に躍起になっていた。
当然、協 和香料に対しても、原料などに違法 な物質が含まれていないかを書類で 確認していた。
そして、ここに今回の 事件の落とし穴があった。
先進的な食品メーカーは昨今、素 材の安全性まで自らチェックする体 制をとっている。
だが前述したような 事情から「企業の命運にかかわるレ シピは開示できない」と言われれば、 自分たちに無い技術である以上、相 手の言い分を飲まなければ取引が成 立しない。
やむなく、食品衛生法に 適合しているという「製造保証書」だ けで取引を続けてきた結果、この事 件に巻き込まれてしまった。
産業の二重構造が招いた事件 さらに厄介なことには、知らずに 違法な香料を使っていた食品メーカ ーの多くは、協和香料と直接、取引 をしていたわけではなかった。
卸機能 を持つ仲介業者を窓口としながら間 接的に取引をしていた。
この仲介業 者を便宜上ここでは「香料メーカー A社」と呼ぶが、A社はれっきとし た香料メーカーである。
しかし一方で 卸売り事業も営んでおり、食品メー カーの香料調達を元請として肩代わりしている( 次ページ図3)。
この分野でA社のような存在が必 要とされるのは、香料メーカー各社 の得意分野があまりにも細分化され ていて、経営規模が極度に小さいた めだ。
買い手である大手食品メーカ ーにしてみれば、すべての香料メーカ ーと直接、付き合っていたらキリがな い。
いわば寡占化の進んでいない市 75 JANUARY 2007 し続けるのも難しい。
さまざまな理由 からA社のような仲介業者の存在意 義があった。
しかし、卸売り事業を営むA社の ような企業は、既得権を守るために あえて調達先の社名すら隠すことが 少なくない。
これは二重構造の取引 が招く、ある意味で避けがたい関係 だ。
このような取引では、協和香料 のような下請けに関する「製造保証 書」を食品メーカーはA社から取る しかない。
現に食品メーカーの多くは そうしていたし、A社が「製造元は 法令を遵守している」と保証したこ とを信用していた。
協和香料事件が発生する以前であ れば、こうした食品メーカーのやり方 は仕方のないものだった。
だが、いま 振り返ればこれは一昔前までしか通 用しない?常識〞でしかなかったよ うだ。
今回、違法行為を犯したのは あくまでも協和香料で、買い手であ る食品メーカーはいわば被害者とい うべき立場だったのだが、世間はそう は見てくれなかった。
いまや最終製品を手掛ける食品メ ーカーは、原料まで気を配るのが当 然とされている。
代替品がいくらでも あり、そこまで責任を持たない食品 メーカーの製品は要らないという雰 囲気が日本中を覆っている。
こうし た風潮は今後の日本で強まりこそす れ、後退することはない。
つまりサプ ライチェーン管理の課題として、そこ まで踏み込まなければいけない時代に 変わっているのである。
こうした変化がいかに大きな意味 を持つか、すでに本誌の読者は理解 してもらえたことであろう。
原料メー カーの寡占化の進んでいない日本で は、香料と同様の環境下で行われて いる調達業務が珍しくない。
むしろ、 ごく一般的な取引形態とすらいえる。
たとえば着色剤や防腐剤などの食品 添加物メーカーとの付き合いにも同 じような二重構造がある。
その意味 で協和香料事件は、極めて普遍的な 課題を突きつけている。
後手に回る企業ほど損害は甚大 さらにこの事件は、企業のロジス ティクスの実力をあぶりだす役割も 果たした。
青天の霹靂ともいうべき 事態に見舞われた食品メーカー各社 は、違法な原料を使った自社製品が、 どこにどれだけ流通しているのかを即 座に把握し、回収することを求めら れた。
AGFにとって問題となった製品 はギフトだけだった。
そしてギフトに ついては、返品を減らすために九〇 年代に徹底的にロジスティクス改革 に取り組んだ経緯があり、流通在庫 を迅速に把握できる体制を整えてい た。
このため事件発生を知ったとき には、すぐ取引先に、問題の製品が 二〇〇一年夏に作ったギフトの一部 だけであることを説明して回り、出 荷停止と回収を働きかけた。
ギフトの商品特性から、小売りの 店頭に製品がほとんど出回っておら ず、主に卸や物流業者のディストリ ビューション・センター(在庫型拠 点)に在庫があったことも幸いした。
それでも「お詫び広告」の掲載や、製 品の廃棄損などによって一億円以上 の損害を被ったのだが、被害を最小 限に止めることができたのはロジステ ィクスが機能したからだ。
一方、この事件でより深刻な打撃 を受けた企業の多くでは、ロジスティ クスが機能不全に陥ってしまった。
最 も損害規模の大きかった大手菓子メーカー各社は、事件が発覚した当初、 「該当する製品が多い」といった情報 を発信してしまった。
しかも当該製 品の出荷停止や回収を具体化するよ りも早くマスコミが反応したため、違 法香料とは関係のない良品を含むほ ぼ全製品を小売りの店頭から撤去さ れた。
そして、この状態が一、二週 間ほど続いてしまった。
ロジスティクスの本来の目的であ 場が必然的に生み出した?二重構造〞 がここにあった。
そしてこの二重構造が今回の事件 の温床にもなった。
食品メーカーが 直に香料メーカーと取引していれば、 大事に至る前に違法状態を解消する なり、調達先を変更することがある いは可能だったかもしれない。
だが現 実には、企業規模の小さすぎる相手 との直接取引は合理的ではない。
た とえコスト度外視で直接取引をして もレシピが非公開なのであれば、過 去の実績を通じて信頼関係のあるA 社を介するほうが理に適っている。
ま た、時代とともに変遷する食品衛生 法への香料分野での対応を、買い手 である食品メーカーが細かくフォロー JANUARY 2007 76 る在庫管理ができていれば、当該製 品の流通状況をすぐに特定して対策 をとることが可能だったはずだ。
これ ができなかった企業の製品は流通業 者の判断で店頭から強制撤去されて しまった。
再び製品が店頭に並ぶま でには、誰もが納得する「安全宣言」 を出すことなどが欠かせず、大変な 労力とコストを要した。
結果として 百億円規模の損害が出た。
乳製品関連の香料を多用している 大手菓子メーカー各社の業績から、そ の影響の大きさを垣間みることがで きる。
事件が発生した二〇〇三年三 月期の菓子メーカー各社の業績は一 様に落ち込んでしまった。
本連載で繰り返し述べてきたよう に、いざトラブルが発生したときに 「調査中」とか「多数の製品に混入し た可能性がある」といった曖昧な対 応をすれば、かえって事態は悪化す る。
対応に時間がかかれば、小売り は全品撤去に踏み切る。
消費者の意 識を考えれば当然の対応だ。
ロジス ティクスを実現できていない企業が、 このような最悪のケースを回避するの は難しかったはずだ。
結果として何も変わらなかった 多額の損害を被った食品メーカー 各社は、協和香料なり仲介業者であ る「香料メーカーA社」に損害賠償 を請求した。
しかし、協和香料は事 件発覚の約二カ月後に自己破産して しまったし、A社のような企業にも 数百億円もの賠償請求に耐えられる 体力はない。
結局、相手の経営体力 の許す範囲内の賠償金で手を打つし かなかった。
さらに、二度とこのような事態に 陥らないよう事件後に手を打とうと したが、満足な対処法を見出せた企 業はほとんどなかったはずだ。
取引の 二重構造や企業秘密が壁になって、手 を付けられなかったというのが正直な ところだろう。
中小の香料メーカーに 頼らざるをえない現実は何ら変わっ ていない。
ちなみにAGFがとった主な対応 策は二つで、まず香料を使った製品 開発をできる限り避けるというのが 一つ。
もう一つは業界で俗に「パー トナー契約」と呼ばれている関係を 構築することだった。
これは「機密 保持契約」からさらに一歩踏み込ん だもので、相手の提示するさまざまな 条件を飲むことで今回のような事件 の再発を防ごうというものだ。
情報 公開を渋る調達先に、どうすれば情 報を開示してくれるのかを働きかけた 結果、複数の取引先とこうした契約 を交わすことになった。
ただし、この契約には会計上の問 題があった。
前回の「連結経営」の 項で説明したように、ある調達先の 売り上げの五割以上を占める関係は、 その企業の「経営支配権」を握って いるという観点から子会社とみなさ れる国際ルールがある。
経営規模の 小さい香料メーカーと特に親密な関 係を築くことが、このルールに抵触し てしまう恐れがあった。
AGFにとって、こうした企業をいちいち連結対象にするのは現実的 ではないため、再び香料メーカーA 社が重要な役割を担うことになった。
ある製造元から香料を買い取るのは あくまでもA社で、AGFはそのA 社が仕入れた製品の一部を買い取る という構図をとらざるをえなかったの である。
このような煩雑な条件を伴う三者 契約を交わすことで、AGFは初め て香料メーカーの企業機密を知るこ とができた。
しかし結果だけをみれば、 協和香料事件の一因になった産業の 二重構造は温存されてしまった。
し かも、ここまでやったAGFは例外 的な存在で、多くの食品メーカーは 何ら具体的な対応策をとれていない 模様だ。
欧米の例では、このような事件を 契機に企業の淘汰が進み、市場が寡 占化されていく。
ところが日本では、 長い歴史を通じて培われた中小企業 による多層構造があり、簡単には他 者が肩代わりできない強固さで定着 してしまっている。
いずれ寡占化され ていくことは間違いないが、加工食 品の製造分野で短期間にそれが進む とは私には到底、思えない。
CSR(企業の社会的責任)の時 代には、在庫を統合管理するロジス ティクスに新たな役割が求められる。
そこでは原料調達から販売にいたる 本来のサプライチェーン管理が問わ れる。
その際にロジスティクスの担当 者は、日本の産業構造が欧米とは比 較にならないほど細分化された二重 構造になっていることを忘れてはなら ない。
次回は、こうした現実を踏ま えた食品メーカーのリスクマネジメン トについて詳述する。
77 JANUARY 2007

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